鳥を撮りたいなら、鳥に好かれなさい

鳥を撮りたいなら、鳥に好かれなさい・・・って。

前ヶ崎宝蔵院02.jpg

この宝蔵院(前ヶ崎)の石仏に、そう言われているようです(^^;)

写真家:里川正広さんが立ち上げた【PRIDEながれやま】というFB頁をよく拝見しているのですが
一番最近の記事が『流山市内でオオタカの子を8mの距離で撮影しました』

はっ!はっ!はちメートル!!(◎o◎)??

どうしてそんな至近距離で撮影が出来たんだろう?....と思ったら
おおたかは、生まれてから毎日一緒に居ると慣れてくれます。自分で飛べるのようになるにも生後25日前後です。そしたら、おおたかの方から寄ってくるのです。ただし、毎日同じ服で接することが大切なのです。
プロの仕事の流儀を思い知らされました(+_+)

そんな事を教えて頂いた上でまことに恥ずかしい限りですが
全く鳥果のなかった、野鳥ポタの記事を書く私って(苦笑)

コメダ珈琲と月乃家.jpg

朝8時に集合して、ゆっくりモーニング食べて、昼はまったり蕎麦食べて、それからまたお茶して....って。
それでいい写真を撮ろうなんて甘いですね(苦笑)



この日はハヤブサを撮りに行こうと、先ず新川耕地に向かいましたが・・・
はるか遠く(1km以上先の上空)に飛ぶ猛禽を捉えただけ^^;

それだけじゃ動画をアップするのに忍びないので・・・
今日、通勤路でわずか30分の間で、しかも横着して車中から撮った野鳥です^^;

2014.10.18野鳥ポタ.jpg

はじめてネオ一眼(超望遠コンデジ)を手にした時は、スズメが撮れても嬉しかったのに
今じゃノスリ、モズ、カワラヒワに対してスズメと同じような気持ちになっていました(^^;)

でも、それじゃいけないんですね(;^ω^)
野鳥撮影の師匠でハイアマチュアのjoypapaさんは、いつも野鳥との一期一会を楽しんでいました。

いい写真を撮ろう!・・ではなく・・・出会いの感謝を撮ろう!

その積み重ねが、趣味の野鳥撮影の基本なんですね
そしたらきっと、鳥の方から寄ってきてくれる?かも?

やっぱ、甘いか?(;^ω^)

posted by たすけ at 2014年11月08日00:25 | 野鳥や動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第23回流山ロードレース大会2014 / 写真と動画


こちらは、先導のパトカー〜最後尾オフィシャルカー登場までの23分動画


こちらは、それを1分程度にまとめました。

沿道の温かい声援と拍手がいいですね(^^)
え?お前の声が聞こえない?...私、動画撮ってる時は決して声を出しませんf(^、^;

流山ロードレース大会 概要

スタート:午前10時

定員:10km (4,000名)
   2kmファンラン(300名)

種目:1.一般男子
    2.一般女子
    3.40歳代男子
    4.40歳代女子
    5.50歳代男子
    6.50歳代女子
    7.60歳代男子
    8.60歳以上女子
    9.70歳以上男子
    10.高校男子
    11.高校女子
    12.ファンラン(小学生以上の市民小学1〜3年生は保護者の参加が必要)
会場:流山おおたかの森駅 南口公園


第23回流山ロードレース大会 コース.jpg

私がカメラを構えたのは4km地点 富士見台(第2関門・第1給水所)

001.JPG

002.JPG

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流山ロードレースの写真と動画を撮らせて頂いて、気が付いた事。
やはり、ほとんど人がスリム^^; 自転車は痩身に良いと思っていましたが
私自身も含めて、肥満率は・・・

 サイクリスト > ランナー 

で間違いないと実感しました(^^;)

ランナーの口コミサイト[RUNNET]の第23回流山ロードレースの評価は
https://runnet.jp/report/race.do?raceId=93116  です。

posted by たすけ at 2014年10月12日18:31 | イベント・お祭り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

みりんの街ながれやま / 万上みりん(堀切家)と天晴みりん(秋元家)

本みりん各種.JPG

2014年、白みりん誕生200周年で盛り上がっている流山市と流川市...え?(笑)

みりんの街流山.JPG

みりんの街_流山駅.JPG

万上みりんと天晴みりん_02.JPG

みりんの街ながれやまには、万上みりんと天晴みりんの二大醸造元がありました。

万上みりんと天晴みりん_01.JPG

万上みりん当主は、代々、堀切紋次郎を襲名(現当主より襲名を廃止)
天晴みりん当主は、代々、秋元三左衛門を襲名(8代目より分家創設

万上みりん(堀切紋次郎).JPG

万上みりん.JPG

この2枚が万上みりん。この工場はまだ私の記憶にあります。

八百善と流山.JPG

おせち料理の黒豆作りに味淋は欠かせんが、その黒豆は江戸の高級料亭「八百善」が考案したもので、八百善に白みりんを提供していたのが相模屋(現在の万上みりん)という事を、高田 郁(かおる)原作の「みをつくし料理帖」で知りました。

天晴みりん(秋元三左衛門).JPG

天晴みりん.JPG

この2枚が天晴みりん。現在の一茶双樹館やケーズデンキの辺りです。
天晴みりん(本家)の工場跡は、三楽オーシャン→メルシャン→ケーズデンキと変遷。
分家は、杜のアトリエ黎明や、近藤勇陣跡の秋元酒店になっています。

流山本町まちなかミュージアム_02.JPG

流山本町まちなかミュージアム_03.JPG

流山本町まちなかミュージアム_04.JPG

流山市と万上みりんは、白みりん200周年を記念して、流山本町まちなかミュージアムを整備しましたが、そこにはちゃんと良きライバルであった天晴みりんの歴史についても説明しています。



流鉄流山駅では、今も昔も発車ベルと一緒に駅員が表に出て
「乗り遅れそうな人がいないか?確認してから電車を出発させます。」

ね?優しい心配りでしょ?
流山は今も昔も、そういう街なんです(^^)
posted by たすけ at 2014年10月12日02:21 | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

里川写真教室 写真展 / オオタカの眼に釘付け

里川正弘撮影のオオタカに釘付け!

流山市生涯学習センターで写真講座を受け持っていらっしゃる里川正弘さん
ダイヤモンド富士の撮影現場や理窓公園などで
「あ!里川先生だ!」とお見かけした事はあるのですが
シャイな私は(ホントか?^^;)お声をかける事が出来ずにいました。
写真講座は平日だしコンデジしか持っていない私は、さすがに恥ずかしくて^^;

つい最近、里川正弘さんが立ち上げたFBを知り登録させて頂いて
ご挨拶の口実が出来たので^^;
流山市生涯学習センターで開催名中の里川写真教室 写真展(10月13日迄)に行ってきました。

里川写真教室 写真展2014年10月_01.jpg

里川写真教室 写真展2014年10月_02.jpg

受付の方にご承諾頂いて、会場の風景を遠景で。

生徒さんたちの作品が主体なので、里川先生の作品は2枚しかありませんが
その里川正弘撮影のオオタカの写真に釘付けな私。

すげぇ〜!!こんなオオタカの眼を見たことない!

これが流山で撮れるんだ!!
...と、大感激!!

あ、勿論、腕も機材も違い過ぎるので、私にはあんな写真は一生撮れないですがf(^、^;
とにかく、プロの凄腕をまざまざと感じました。

流山市生涯学習センター.JPG

里川写真教室 写真展2014年10月.jpg

猛禽ファンなら、その1枚を見るためだけでも、流山市生涯学習センターに行く価値はありますよ(^^)
「里川写真教室写真展」は9時〜17時 最終日10月13日は16時まで。

posted by たすけ at 2014年10月10日22:12 | 展覧会・講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

下総國鰭崎邨古冢碑と流山市の森

下総國鰭崎邨古冢碑

鰭ヶ崎三本松古墳2014年9月02.JPG

三本松古墳の「下総國鰭崎邨古冢碑」の内容

『天明の飢饉の時、古墳を掘って財宝を掘り出し食べ物にかえてようとした村人がいたが、渡辺充房と寅の親子がこれをやめさせ、私財を投じて農民を飢えから救った。』

前記事からローラやふなっしー使っておちゃらけていますが...
変わりゆく流山の風景(景観計画)の現実に向き合わなきゃ!と。
2012年「街づくり委員会公募市民委員」に応募しましたが、二次面接で落ちました。
なので非公認キャラに、シンパシーを感じているなっしー♪...って。そんな事はどうでもいい(^^;)

1975(昭和50)年鰭ヶ崎駅付近01.jpg

40年前、1975年(昭和50年)私の高校時代の自転車通学路(ピンクのルート)
宮園団地は造成が始まったばかりですが、西平井はまだほとんど田んぼです。
...で、気がつくと思いますが、すでに西平井の台地は大きく削られています。

つくばエクスプレスと発展する流山市.JPG

これはTX(つくばエクスプレス)の線路ですが、TXと武蔵野線の共通点は、路線上に踏切がないことです。TXはトンネルと高架で、武蔵野線は切通しと盛土に電車を走らせています。
(新松戸付近からは高架になりますが。)

鰭ヶ崎三本松古墳が大きく削られてしまったのは、武蔵野線の盛土用に削られた?
多少はそれにも使われてたのでしょうが、宮園の造成(埋め立て)用に削られたのでしょう。
タラレバですが、もし当時より史跡保全の意識が高く厳格なルールを定めていたならば、これほどギリギリまで削られる事はなかっただろうし。
結果的に、武蔵野線開通が1500年以上保全されてきた古墳を破壊することになってしまいそうです。

1975(昭和50)年鰭ヶ崎駅付近02.jpg

でも、確かに。全てそう使われた訳ではないでしょうが・・・
1960〜70年代、武蔵野線の盛土用や宅地造成(=田んぼの埋め立て)に流山市内(西平井や鰭ヶ崎etc)の台地が削られていきました。
鉄道敷設では盛土方式の方が費用が安く、また武蔵野線は地盤のゆるい田園地帯を通るために高架より盛土方式を推進したようです。

小金高校

過去記事(2007年6月)に武蔵野線開通に関する記事を書いていますが、私が40年前に小金高校に通っていた頃は、新松戸駅前、南流山駅前には、な〜〜にもありませんでした。

05.jpg

ちょうどいま、1675年(昭和50年)高校2年の時、クラスメイトが脚本・監督した自主映画のリメイク版を編集しているところなのですが、その中に東福寺の東斜面を削り取った崖(現グリーンハイツ流山の場所)と、南流山駅前が映っていますので、差し障りのない範囲で抜き出してみます。



見事にな〜んにもないでしょ?シーンの中には、私も映っています^^;
私自身、高校生の頃に史跡や森の保全に関心があった訳でなく、40年経って古墳がなくなるという事を伝え聞いて初めてこんな事を書いている訳ですが。

都市計画は50年スパンの話です。今開通した道路の中には昭和30年代に計画された道路もあるくらいです。行政は融通が利かないと言われがちですが、行政サービスは計画続行が至上命題です。50年前の計画が現実にそぐわなくなったら、計画変更や断念という形にせずに、いわゆる塩漬けにして何もしない・・・という方針を取ることはよくある事で。

何もしない間(=行政による買収が進まない間)に...ちょっとづつ、ちょっとづつ、虫食い状態で森が潰され宅地開発が進み、車1台がやっと通れる道で、しかも行き止まりばかり...なんていう宅地に柏市や松戸市で入り込んでしまう事があります。その点、流山市は開発が遅れたぶん、そういう箇所が両市に比べれば少ないほうです。

残したい流山の森.JPG

人口が増えれば緑を失っていく事は避けられないのですが・・・

絶対に残しておくべき森

そういう森は、行政や地主が守るのではなく、名義は地主さんでも所有者は市民全員。
...というコンセンサスが必要だと思います。

下総國鰭崎邨古冢碑の精神を、流山市と流山市民が引き継いだら・・・。

『平成の開発の時、已むに已まれず森を売り宅地にかえてようとした村人がいたが、流山市と流山市民がこれをやめさせ、知恵と市税を投じて村人と森を救った。』

「はぁ〜い!OK♪ いいカンジぃ♪ でも、よくわかんな〜い♪」 byローラ風味

タグ:鰭ヶ崎
posted by たすけ at 2014年09月25日00:00 | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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